本書は2002年1月に書き上げたものである。地中海フーズ株式会社が2004年6月に創業10周年を迎え、これを記念して刊行することにした。内容については、この2年の間に変化したものもあるが、あえてそのままにしている。走行距離も2年間で約1万キロメートルは増えただろうかと思う。本書で「・・・・には行っていない」と記された所に訪れてもいる。(ただし、自分の年齢のところだけは変えてある。)
筆者は未知なるものに限りなく興味を持つ旅行好きの人間であって、単なるヨーロッパ好きの旅行者ではなく、その前に深く日本の文化を愛し、日本人であることに誇りを持っている人間である。その体験を誰かに知って欲しく思い、あえて刊行することにした。
小生の旅行好きは国内を一周することからスタートした。大学受験に失敗して京都や奈良にアルバイトをしながら3ケ月滞在した後、約9ヶ月にわたっての無銭旅行に出たのが始まりである。
もっともお金はかかるので各地でアルバイトもした。門司では1週間沖仲仕の仕事、富山県の黒三ダムでも1週間トロッコの砂利おろし、岡山の笠岡の潮湯温泉では1年分の帳簿整理を頼まれ決算書作り、水島の川鉄工場前では移動車でのうどん売り、そして伊勢志摩のときはバイト料で得た資金で真珠のセサリーを目いっぱい仕入れてそれを売りながら旅費に当てた。その外に北海道では2ケ月あまり一軒家を借り上げて、郷里の青森からりんごを貨車で引き、オホーツクカら日本海の沿岸にかけて、市場卸をしながら旅をした。当時はまだ二十歳をすぎたばかりだったが、2日分の利益は大卒新人の1ヶ月分に近いものだった。そのときは北海道旅行を兼ねてのりんご売りだったので、利益に何の未練もなく、又勉学に戻ったのである。
幅広く見知らぬ土地を旅行して、難題に出会っても苦にしない行動はその頃に培われたものと思える。社会に出てからも、これらの経験がなにごとにつけても力となって支えてくれている。
今では、日本国内においても、北海道から九州までの海岸線はほとんど走破している。そのほか沖縄を除いて全国の県庁所在地、国立公園は全て立ち寄っている。一番多く訪れている場所は京都である。年に2、3回は出かけている。
海外でもさまざまな土地を旅してきたが、一番多く馴染んでいて、今でも仕事抜きで最も訪れたいと思うのはやはり地中海沿岸である。コスタ・デル・ソル、プロヴァンス、コート・ダ・ジュール、リヴィエラなどその地名を聞くだけで何となくソワソワする。若い頃の希望する分野とは全く違うけれど、小生には地中海フーズの経営が一番向いているのだろうか。
海外に旅をするようになって38年になる。それだけ馬齢を重ねてきたかと思う反面、オレはまだ若いという気持がある。
娘も嫁いで孫が出来た。息子も医学を学んでようやく医師として社会に出た。このようなことで、今まで暇さえあれば旅行ばかりしていた自分の行動に理由付けをしておく必要もあると思ったのかもしれない。自分のしてきたことを正当化するための弁解を本書に求めたのであろうか。この本を娘の初孫誕生と息子の就職祝を祝って二人に贈ることにしよう。
最後になるが本書を発刊するに際して、拙文を目通してアドバイスくれた藤田先生夫妻、宇治オートの古後氏 、義姉の石谷寸美子氏、スペインからポルトガルまでの単調な未踏破区間を同行してくれた石谷樹人氏に深甚のお礼を申し上げる。そして書きなぐりのノートからパソコンに入力し、校正に助力してくれた妻の美知子にも感謝の意を表する。