本書は、筆者の1965年~2001年のおよそ35年間にわたる旅行体験記ともいうべきものである。若いときは自身の将来に備えて見聞を広げよう、また好きな美術館を訪ねたい、歴史的古都を旅行して見聞を広めたいなど、動機はいろいろあった。旅行を始めた頃は、地中海というよりも、好んでドイツ、フランス、イギリス、アメリカに出かけ、またインド、東南アジアにも何度も出かけた。しかし、次第に足がイタリア、スペイン、モロッコ、トルコなどの地中海を取り巻く国々へと向くようになり、今では地中海地方から食材を輸入する会社を経営するようになったこともあって、一層この地域への訪問が密になってきている。
旅行の方法としては、まずレンタカーが基本になっており、自分自身の興味と関心を満たすべく旅程が練られる。35年間に及ぶ旅行の内訳は、国際線搭乗時間が約2300時間、そのうちヨーロッパ・中東が約1800時間、主にレンタカー(バスによる移動も含む)での地上移動はおよそ15万キロメートルに達している。地中海沿岸国の細部にわたる往還、反復、出入りのみを言うならば、約7万キロメートル強のドライブ旅行になるはずである。本書に記載される地域に関しては、主要幹線道路に限らず、地図を見ても不確かなような地域にまで出入りしている。海外旅行としての現地滞在日数はおよそ1000日に達する。すなわち海外へ旅行を始めてからの35年間のうち3年を旅行に費やした計算になる。
このような経験を持つ日本人は多くないだろう。旅程を自分自身で計画し、宿やレストラン探しも自らハンドルを握りながらするという意味で旅の内容はバラエティに富んでおり、旅行好きであればあるほど本書に興味を持つに違いないと確信している。取材のために限られた地域に長期間滞在するような報道関係者、海外旅行の添乗員、あるいは業務のために世界を飛び回る商社マンで、フライト時間が私の比ではないという方は無数にいるに違いない。しかし、私のようなスタイルの旅をしてきた人は少ないのではなかろうか。近年は仕事が忙しくあまり余裕がないこともあるが、それでも時間が許せば、取引先の仕事を終えた後などに、車で未だ踏破したことのない道を見つけては旅を続けている。
旅の途中、その地における最下層の人々の暮らしに接したこともあれば、有名ホテルやレストランでぜいたくな滞在をしたこともある。カルカッタのスラムで寝てみたり、アラビアの砂漠でベドウィン族と一緒のテントに泊まったりしたこともある。青年期に事業に余裕のあった折には、出費のことは全く気にしないで、パリ、ニューヨークに限らず、世界の一流ホテルやレストランで贅沢をすることができた。それは地中海沿岸国への旅でも同様であった。しかし、現在の旅のスタイルはどちらかといえば、ビジネスを基調とした旅に変化してきている。
本書では地中海沿岸の全域を紹介しているが、たとえば、それぞれの国や地域に限るなら、私の経験は人様に開陳できるものではない皮相的なものである。だがしかし、一人の目を通してこの地域全体をカバーできる旅行者は他にいるであろうか。さらに加えれば、このために要した時間は、無理をしても創り出し、費用はすべて自らの収入から捻出したものである。親からの援助や第三者によって引率されて旅をしたのとは違い、自らの希望によって旅をした印象記だということである。
考えてみれば、あちこちと旅をするうちに、次第に地中海の魅力にとりつかれ、今では「地中海フーズ」という食品輸入会社を経営して仕事柄ひんぱんにこの地域を訪れているが、なぜ自分がこの地域に惹かれるのか次第にその理由が判りかけてきた気がする。
それは、単にこの地中海地方が観光的に優れているとか料理がおいしいなどに止まらず、現代欧米社会の政治面において、大きな影響を持つファクターが、すべてこの地中海を巡る地域にその成り立ちを持っていることと関係しているように思われるからである。ビザンチンやイスラムなどアラブの国々は、古来ヨーロッパの文明にあらゆる面で影響を与えてきた。換言すれば、欧米を中心とする国際政治問題へ発展する諸現象は、ほとんどこの地に絡んでいると言っても良いだろう。コソボ紛争、中東紛争、そして現今のアフガニスタン問題もまた然りである。
したがってこの地域を知ることこそ、現下の国際情勢を知ることに他ならないということであり、昨今のニュースは如実にそれを示している。言うなれば本地域の歴史や地理に理解を深めることが現代史の理解に通じることになるのである。
本書では、ヨーロッパ方面に旅行しようと思っているが、どこに行けば良いのかと迷っている人に対しても、走り抜けの紀行文を通じ、比較検討しやすいガイドブックの役目も果たすのではないかと期待している。歴史に関心のない人は、歴史の部分を省略して、社会、風俗、そして食べ物について書いた章などの拾い読みも効率がよいだろう。
地中海の歴史については、私は単に歴史小説のファンに過ぎず、専門の歴史家ではないのでその解釈に関して誤りがあるに違いないと思っている。年代に関しては、およそながら正確を期して文献に頼ったが、他はほとんど自分の記憶に頼っての作業だったので、読みにくく理解しにくい部分もあろうかと心配している。
2004年8月 久保田 大
地中海 太郎