アルバのトリュフの父

トリュフフェア発祥、ホテルサボナの「ジャコモ・モッラ」の人生に関するたくさんの逸話が彼のキャラクターを物語っています。彼の人生を振り返ると、彼はよくインタビューを受け、たくさんの人の訪問を受け、言葉を引用され、意見を求められたりと、アルバのどんな人間よりも尊敬を集めていました。彼のレストランのテーブルにはショービジネスの世界でのビッグネームのみならず、政治家や作家、ビジネスマン、たくさんの美食家や食通たちが座りました。また世界各地からの観光客、何十万人もの食事客が、ジャコモ・モッラの人間性、トリュフの香り、アルバの素晴らしいワイン、神話的にもなっている彼のサボナ、そして、一度食べたら忘れる事のできないアルバの伝統的な料理を生み出す彼のキッチンに心惹かれ、訪れたのです。

彼は実践的な料理教室を開き、そこで長期間のコースを終えると料理人は卒業証書を得ることができました。その料理教室は50年間の内に地域の有名レストランやトラットリアで働く伝説的なシェフを何人も輩出しました。

彼はよい品質の原材料にこだわり、自分の農場を開きました。そこで野菜を育て、豚や牛を飼育し、ワイナリーを作りました。そしてハンターたちに、野うさぎやキジ、ウズラやヤマウズラを取ってきてくれるよう依頼しました。彼はトリュフに心をわしづかみにされ、トリュフはアルバの街やこのランゲの地区、そして様々な地域の味覚の魅力を大きくし、活性化できると信じていました。

1928年、彼はサボナホテルを手にしました。真っ先に彼は修復に取り掛かりましたが、当時としてはそれは極めて珍しいことでした。バーやビリヤードルーム、ダンスホール、そして宿泊客だけではなく、街の人のためのレストランもつくりました。
そこはすぐにアルバで重要な場所となり、ワイン生産者のミーティングを行ったり、ぶどう農家やブローカー、セールスマンやアルバのコミュニティーのパーティールームになったりしました。
ジャコモ・モッラはたくさんの人たちに対し特別な機会にケータリングサービスも行いました。
またプロモーションのためにトリュフフェアを行おうと考え、そして生涯、財政支援を続けました。

第二次世界大戦後、ジャコモ・モッラは思いつきました。「毎年、国際的な有名人にその年の一番大きなトリュフをプレゼントしてはどうか」。そして当時のアメリカ大統領、ハリー・トゥルーマンに送ったトリュフは、2,520gにもなりました。このニュースは、新聞の一面を飾り、世界中を駆け巡りました。

また観光客のため、ロッディにトリュフ犬養成大学をつくり、また、本物のトリュフハンターのような体験が出来るイベントも行いました。ホテルのオーナーとしては、彼はいつも礼儀正しく、人の役に立とうとしました。そして洞察力のあるレストラン経営者でもあり、たくさんのアンティパストを発明しました。また白トリュフと同様、黒トリュフのディーラーとしてフランスに売ることもしました。

彼はトリュフの保存法も見つけ出し、1948年、アメリカ向けにフレッシュトリュフと、プリザーブドトリュフの販売を始めました。彼はトリュフ王として世に知られ、彼の息子のマリオとジョルジョ、フランチェスコは1990年まで彼の世界を引き継いできました。